400年は長いか短いか?
今日は名古屋市と南知多町の学芸員の方々が来島されました。
慶長年間、名古屋城築城のおりに、石垣の石材として篠島の形が変わるほど多くの
の石材が篠島から名古屋へ運ばれました。
多くと言うのは、最近になって海岸から離れた内陸部からも
採石跡が発見されているからです。
運搬しやすい海岸の石を取り尽した後に、内陸部へ目を向けたというのが
自然な考え方ではないでしょうか。
篠島の周囲に点在する無人島のうち、採石跡が見られる築見島、木島、広亀島、戸亀島
小山島、松島を洋上から見学し、その後、最も有名で加藤清正の枕石と言われる
篠島本島、南風が崎(まぜがさき)の採石跡に向かいました。
自分たちには見慣れた史跡ですが、学芸員の方々は時間も忘れ
石材にくっきり残るノミ跡に熱心にメジャーを当て調査していました。
そんな風景をぼんやりながめていると、この地でノミをふるったであろう
当時の職人たちの姿が400年という歳月を越えて目に浮かんできました。
篠島は史跡の島です。
少しさかのぼれば、家康が、本能寺の変で堺を脱出し
伊勢の国、白子から海路三河に向かう途中に篠島へ立ち寄ったという伝説もあり
また、太平記によれば南北朝時代、後醍醐天皇の皇子、義良(のりなが)親王
・・・後の後村上天皇が東下途中に遭難され篠島へ漂着しました。
皇子のために島民が掘った井戸が帝の井(みかどのい)として
今もこんこんと清水をたたえています。
篠島の史跡はこれにとどまらず、篠島神明神社は奈良時代末期から歴史に登場しています。
古来より伊勢神宮との関わりが深く今も島には伊勢神宮の御領地があり、ここで調製される
篠島の鯛は「おんべ鯛」として毎年、伊勢神宮に献上され続けています。
そして20年ごとに行われる伊勢御遷宮の折りには内宮の東宝殿、西宝殿が
交互に篠島へ下賜され、篠島神明神社も20年ごとの御遷宮が絶える事無く今に至っています。
これは、今の大河ドラマ「平清盛」の時代をさらに400年さかのぼります。
また篠島は万葉集にも歌われ、万葉の歌碑公園から望む鯨浜(くじはま)からは
弥生時代の土器や漁具、石器が多く発見されています。
篠島は史の島です。
他の史跡と大きく異なるのは、それらの史跡群が近代の乱開発を逃れ
当時と同じであろう風景の中に今もたたずんでいることです。
名古屋城の石垣は一級の完成品ですが、石切作業半ばで篠島に残さた数ある巨石の一つでも
名古屋城に展示されれば現代人の目に触れる美しい石垣が400年の歳月越え
より立体的な風景としてよみがえり、当時の人々の体温をもっと身近に感じられるのではないでしょうか。
かつて、名古屋城築城の縁の下の力となった祖先と同じく、今を生きる一島民として
島の巨岩が城壁近くに展示される事を願ってやみません。
2012年 4月 18日 | People