としより犬のボーイ




としより犬のボーイは13才でした。

人間だともう立派なおじいちゃんです。
白い体に茶色のブチ模様があって、玄関の脇に置かれた犬小屋から、頭をだけ
ちょこんと出して、家の前を通り過ぎる人の姿を見ているのが大好きでした。

近所の家で生まれた雑種の子犬を、会社帰りお父さんが「あんまり可愛いから」
ともらったきたのがボーイと家族との出会いでした。

年を取ったボーイは少し足が悪くなって昔のように早く走れなくなりましたが
それでも家族はボーイにいつも声を掛けて頭を撫でることや、朝夕の散歩を
忘れませんでした。

夏のある日、親戚のおばさんがやってきました。おばさんはお母さんが
持ってきた麦茶をゴクゴクと飲み干すと、おでこにタオルを当てながら言いました。

「そうだわ。あのね、うちの隣で可愛いマルチーズの赤ちゃんが生まれたのよ。
 でも、全部飼いきれないからって、飼い主さんがもらい手を探してるのよ。
 ねえ、どう?小型犬だしちゃんと血統書もついているのよ。人助けだと思って
 頼まれてくれないかしら」

その夜、お母さんが夕食の時におばさんの話をすると、家族はみんな賛成しました。

「ボーイももう年だし、一緒に飼ってもケンカしたりしないだろう。小型犬も可愛い
 だろうしな」

「血統書もちゃんとついているんだけど、今はなかなか犬をもらってくれる人が
 いないらしくて。もらってくれるだけで有り難いそうなの」

「子犬が来たらボクが一番に散歩に連れていくんだ」

「ダメだよ、ちゃんと予防注射してからじゃないとね」

「そうね、また色々わんちゃんの為に買い物しなくちゃね」

その頃ボーイは前足にあごを乗せて、丸いお月様をまぶしそうに見上げていました。


「わあ、ちっちゃいね」

家にやってきたマルチーズの赤ちゃんは、まるでわた菓子のように真っ白で片手に乗って
しまうほど小さい犬でした。お父さんはその子犬を抱き上げてボーイの前に連れてくると

「ほら。こりゃ、うーん。ボーイの…孫ぐらいかなあ。はじめまして。ボーイおじいちゃん
 よろしくね」

と言いながら子犬にこくんとお辞儀をさせました。

「ねえねえお父さん、早く早く。」
「おう。わかったわかった」

その日はそれから誰も家の外に出ることはありませんでした。
ボーイは時折ドアのすみっこを前足でガリガリとかきましたが、そのあとは犬小屋に
体をすっぽり隠して寝てしまいました。


「コラコラ、ひもをかじっちゃダメだよ。マーチ!見て見てお母さん」

「だって初めて首輪を付けるんだもの、マーチだって嫌がるわよ」

予防注射も終わってマーチと名前を付けられた子犬はいよいよ散歩に出ることになりました。
首には真新しい可愛い首輪が付けられていました。

ボーイも散歩に連れていってもらえると思って、くるくる回ってシッポを振りました。

「2匹一緒はまだ無理ね。ボーイはお父さんが帰ってきてからよ。後でね」

「お母さん早く早く。あーもうおしっこしてるー」

「ほら、車来てるじゃない!気をつけなさいよ。おいでおいでーマーチ」

ボーイが首に付けている色あせてすり切れそうなこの首輪は、自分と家族との長い歴史の
証でありたいとボーイは思っていました。

夕焼けがボーイの背中に赤く広がっていきました。


季節が一つ流れました。


日曜日、おじいちゃんが遊びに来ました。人なつこいマーチはおじいちゃんを見て、玄関から
飛び出し嬉しそうにシッポを振ります。

「ほほー。これがえーっと何とかチーズっていう犬か」

「マルチーズだよ、おじいちゃん。マーチって言うんだ」

「ああ、そうそう。マーチかい。何と小さいもんじゃ。ボーも最初はこんなもんだったなあ」

おじいちゃんはボーイを「ボー」と呼んでいました。

「さあさあ,どうぞ上がって下さい」

「ねえねえおじいちゃん、マーチはお手もできるようになったんだよ」

「ほー。お利口さんだ。ちょっと待てよ。ボーにも挨拶せんとな」

ボーイはきちんとおじいちゃんの前に座るとまっすぐな瞳でおじいちゃんを見つめました。

「なんだかボーも急に老けたか。ん?ちっこいのが来て構ってもらえんだろ。
 今日は夕方にじーちゃんがボーの散歩連れていってやろうな。ジジイ同志もいいわな」

おじいちゃんはボーイの顔を両手ではさむとゴシゴシと撫でました。

「さあ、ボーよ。散歩するか。あのちっちゃいのはやかましくていかん。年よりは年より同志に
 限るわな。はっはっは」

首輪にリードを付けるとボーイはのっそりと犬小屋から出てきました。
二人はゆっくりと歩き出しました。

散歩の途中でボーイは「ゼッゼッ」と咳をするとその場から動かなくなりました。

「ボー。家までもうすぐだからガンバレや。ボーの好きな牛肉も持ってきたから晩ご飯は豪勢ぞ」

ボーの口から白い泡が出てきました。おじいちゃんはあわててボーイを抱きかかえると
近所の動物病院に飛び込みました。

「だいぶ前から調子が悪かったんじゃないか、って獣医さんがな。心臓がいかんらしい。
 だいぶとな」

「そういえば最近は散歩もあんまり行きたがらなかった感じがあったけど」

「子犬に気を取られてボーのこと、ちゃんと見てやらんかったか」

「そんなつもりはないけど。でもそんなことがまったくなかったとは…言えないわね。
 ごめんね。ボーちゃん。おじいちゃんの言うとおりかも知れないわ」

「おじいちゃん、ボーイは死んじゃうの。ボクが遊んであげなくなったから?おじいちゃん
 ボーイは死なないよね」


家族の集まる居間に毛布が敷かれて、そこでボーイは横になっていました。

「年よりはな、寂しいもんさ。別に特別扱いして欲しいとは思わんがやっぱり家族じゃからな。
 忘れられたら家族じゃなくなるんじゃの、なあボーよ。」

ボーは薬を飲んで静かに眠っていました。

昼間、家にはだれもいないくなってしまうので、ボーイが落ち着くまでおじいちゃんはこの
家にいることになりました。ボーイは日に日に弱りましたが、おじいちゃんの膝枕で昼寝を
したり、家族みんながボーイの周りに集まって色んな話をするようになりました。

走ったり一緒に遊んだりすることはもうありませんでしたが、ここにボーイがいるだけで
家族は集まり、幸せな時間を過ごしました。幼いマーチもまるで父親によりそうように
いつもボーイの傍らで過ごすようになりました。


ある日。

おじいちゃんがボーイの横で新聞を読んでいると、ボーイは急に体を起こしてさかんに
シッポを振りました。しかし、目は焦点があっておらず、すぐにまたフラフラと倒れ込んで
しまいました。

おじいちゃんはボーイにその時が来たことを知りました。

「ボー。昔のことを思い出してるか。何も言わんでよう頑張ったな。そうよボー。わしが死ぬ時には
 ボーが迎えに来て、ばあさんの所まで連れてってくれ。迷わんようにちゃんと迎えに来てくれよ。
 忘れずにちゃんとな。ボー約束じゃ」

おじいちゃんはボーイの前足を握って

「ボー、指切りげんまんじゃ。次に会う時までさよならな、ボーよ」

マーチはボーイとおじいちゃんの指をぺろぺろとなめつづけました。

天国で散歩が出来ないと困るから、とボーイの色あせてすり切れそうな首輪はボーイと
一緒に煙になりました。


おじいちゃんが亡くなる前、少しだけ意識が戻ったとき、おじいちゃんは部屋から見える
庭をのぞき込んで

「おう、ボーか。ちゃんと忘れずにいたんだな。よしよし、今そっちに行くから」

と言いました。

おじいちゃんはボーイの、あの色あせてすりきれそうな首輪につながれたリードを
しっかりと握ると、おばあちゃんの待つ場所へ続く長い階段を、ボーイと並んでゆっくりと
ゆっくりと昇り始めました。


 

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2008年 10月 17日 | Friends and Pet is Famlly



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