9時出港しましたが下げ潮はピクリともぜず魚っ気なし。
11時の潮変わりにお目当てのポイントに錨を打ち今日一番の好機と気合いが入るもののアタリなし。
さんざん撒き餌をしましたが思い切り良くあきらめて、二度目の引っ越しをしました。
2時頃、前回フグやカワハギの餌取りで釣りにならなかったポイントへ錨を入れました。
仕掛を流して数秒もしないうちに48センチのクロダイがひったくるようにかかり、入れ食いになりました。
4時頃に潮がまわりポイントを外れるまでの2時間で黒鯛が大小12、1キロ前後の真鯛が4
一番の大物は3.4キロの真鯛でした。
小物はメバル2、セイゴ3、アイ1、サンバソウ1、銀フグ2、モフグ1で、終わってみればそこそこの釣果でした。
8時間のうち釣れたのは最後の2時間だけ、努力賞ですね。
釣りを飲み込んで弱ったセイゴは我が家の今晩のおかずになりました。
動画でアップしてみました。(篠島南風のチャンネルです、まだ試行錯誤中)
2010年 10月 21日 | fish on ! | 篠島 南風丸 釣果 はコメントを受け付けていません
裏の裏は表じゃないか
いや、そんな話ではなく、砥石の話です。
家で魚をさばかれる方からリクエストがあったので、はしょって書いてみます。
まずは、よく使う砥石セットです。
右から
セラミック系の砥石 荒研ぎ用 400番
二番目の濃い緑が同じくセラミック系の中砥石 1000番
三番目の褐色がセラミック系の仕上げで3000番 普通はこれで研ぎ上がります
台に乗っている壁色が普通タイプの3000番ですが、同じ3000番でも
セラミック系より研ぎ上がりがしっとりして5000番くらいの感じです。
これは長く使っているので厚みはもう7ミリくらいで、いつ割れるか心配しながら使っています。
その横の銀色がダイヤモンド砥石で中目の表示で400番よりやや荒い感じです。
一番左がダイヤモンドの荒目でこちらは刃物の形をかえるとか、よぼどひどい刃こぼれに使うだけで
もう研ぐというより鉄を削るといった感じです。
下の黒っぽいゲジゲジは砥石を平面に研ぐ砥石です、これは必要です。
砥石が凹んでいたら研ぎ師でもきちんと研げません。
セラミック系を使い始めたのはまだここ数年です。
砥石に関して書くにはどうしても包丁の話が切り離せません。
ステン包丁は錆びない切れない安物という時代は昔の話で、かなり切れる包丁が作られています。
青紙や白紙といった炭素鋼に劣らず、ねばり強く錆びないといったメリットを考えればプロでもステンレス包丁の方が便利な場合もあるでしょう。
青とか白とかはハガネの種類です。
簡単に言えば普通は地金にハガネをくっつけて包丁が出来ています、霞と言われます。
ほとんどの包丁がそうで、板前さんが普通に使っています。
地金部分が柔らかく研ぎやすい使い勝手のいいすぐれた包丁です。
もう一つこだわると霞より上位の「本焼き」です、全体がハガネで刃先部分だけ焼き入れをします。
さらにこだわれば「水焼き入れ」「油焼き入れ」・・・これはもう関係ないですね。
本焼きは鍛冶屋と刃物を使う人の、「妥協無し」というこだわりでしょうか。
霞もすでに完成された日本のすばらしい包丁ですがハガネと地金を高温で合わせると
互いの金属の性質が混じり合うというか、どうしてもハガネの性質が一部損なわれる部分があるんじゃなかろうか
そんなふうに想像しています。
もちろん鍛冶屋さんはすべて理解して打っているわけで、霞も素晴らしい包丁です。
何を言いたいかというと、硬い本焼きも粘りのあるステン系の包丁もセラミック砥石なら研げます
(超高価な青の本焼きをガシガシ研ぐ人はいませんが(^^;)
普通の出刃も柳刃も魚をさばいた状態でまな板の上に30分も放置すればもう錆びが始まります。
刃先は3000〜5000番で仕上げているのでなかなか錆びませんがシノギ部分などに
中砥の砥石目でも残っていたらすぐ錆びます。
その包丁で刺身を引けば金属臭が心配です。
自分のようにお客さまの食事時間にあわせて刺身も引けば焼き物もする、時には天ぷらも揚げるといった場面では、錆びは結構ストレスになります。
2年前からグレステンの出刃を使い始めました。
研ぎ直後のハガネの出刃の切れ味が10とすればグレステンは9くらいでしょう
でもハガネ出刃が数日で切れ味が5くらいになってもステン出刃は8くらいが長く続きます。
それに錆びも出ず、金属臭はまったく無し。
通常はハガネの出刃を使っていて、状況によってステン出刃を使っています。
ステン系柳刃への偏見も薄れて来ました。
砥石の話に戻ります。
ダイヤモンド砥石、ガラス砥石、セラミック系砥石と種類はありますがセラミック系の砥石が
一番無難ではないでしょうか。
ステンレス包丁も研ぐならばセラミック系の400、1000、3000番がベストと思います。
2年くらい前、3本で二万ちょっとくらいでした、今はもっと安くなっているでしょう。
研ぎ方はシノギから刃先まで丸くならず真っ直ぐになるベタ研ぎが一番簡単です。
最後に刃先部分の角度を少し鈍くして裏を糸引きにすればかえりも取れて長切れする包丁に仕上がります。
家庭用ならそれで十分です。
(自分は刃先をややはまぐりにして糸引きは表に微かに付ける程度です。裏の研ぎを最小限にするためです。長く使ってベタ裏になってしまうと出刃は我慢出来ますが刺身包丁は使いにくいです。はまぐりの程度や糸引きの具合は包丁一本一本すべて癖があり用途も異なるので大きさや角度は変わってきます。切れが続かない、刃先が滑る、刺身を引くのに重い、身離れが悪い、等々の理由で、肉眼でわかるほど二段刃もあれば仕上げ砥の上を一度なめるだけの糸引きもあります)
すべて包丁がステンになるかかどうかはわかりません。
しかし自分は炭素系の包丁を手放さないと思います。
研ぎ上げた青の本焼きの何とも言えないような姿は・・・・・・
刃物と砥石にこだわり過ぎると、別の世界へ行ってしまいそうで、ちょっと怖いです。
切れる包丁に研ぎ上げるのは仕事で必要な作業ですが、それ以上に
無心に研ぐという行為は自分にとって精神衛生上重要な時間でもあります。
2010年 10月 12日 | Friends and People | 裏方の裏方 はコメントを受け付けていません
昼飯をかっ込んで出港しました。
錨を入れたのが1時半で、すでに下げ潮がぬるんでいました。
出遅れ感からダメかなの予感通りアタリは無し、底潮が満ち潮方向にきいてくるまで粘りましたが
結局3時までまったくアタリ無しでした。
去年見つけたばかりの大物を何匹かあげた新しい満潮のポイントに錨を入れ
オモリ無しのふかせで8ヒロのばした所で微かなアタリに思いっきり合わせると
道糸が吹っ飛んでいきました。
20ヒロまで出た所でなんとか止まり、慎重にやり取りしてタモに入ったのは70センチくらいで
3.6キロのアイシャドウのきれいな真鯛でした。
速くなって行く潮に合わせるようにオモリ無しで空糸のまま伸ばし、11ヒロで1.5キロを2匹
18ヒロで1キロ前後を3匹釣りました。
低い雲に太陽が落ちた5時くらいに27ヒロで小さなアタリに合わせると、また10ヒロくらい
もっていかれる強烈な引きでなんとかこちらに向けた直後に痛恨のバラしでした。
結局大鯛1、まずまず5、塩焼きサイズ3で、大きくなって帰って来いと
リリースした小鯛が4、5匹あったと思います。
これはご愛嬌 ↓
最初はクロダイのアタリかと思いましたがちょっと変で手繰ってエサを見ると
エビの背中がかじってあります。こんな食い方をするのはアオリです。
すっと重くなるクロダイの微かなアタリに比べるとアオリも重くなるけど、
重くなり加減がなんとなく下品(笑)
大鯛が食いそうな潮に何度もジャマするので餌木を流すと一発で乗りました。
新子にしてはいいサイズでした。
猛暑の影響を心配していましたが、秋の恵みは今年も来てくれました。
2010年 10月 12日 | fish on ! | 篠島 南風丸釣果 はコメントを受け付けていません
久しぶりに、本当に久しぶりに南風丸で釣りに出ました。
下げ潮ぬるみねらいで10時くらいに出ました。
今日は釣れても釣れなくても親父が大好きだった野島沖のポイントと決めての出港でした。
狙いどおり潮がぬるくなった11時ころからアタリがではじめ、最初に食わせたスズキは姿を見ただけで
バラしたものの40センチオーバーのクロダイ3、真鯛1と塩焼きサイズの鯛を4つ上げました。
今日のお泊りは2名さまが3組なのでクロダイ2と真鯛1を〆て持ち帰りました。
久しぶりの釣りなのでブログに釣果をアップしなきゃと思っていたのにコロリと忘れ
姿造りの解剖画像になってしまいました。
鯛はもちろんですが、クロダイも脂がのっているので気持ちいいほどきれいに皮が剥けました。
二名さま一匹では少し量が多すぎますがたっぷり楽しんでもらいたいです。
寝かしを6時間くらいと判断してあわてて帰港しました。
でもこれだけ脂ののりがいいならもう少し寝かしは短くてもよかったかも。
2010年 10月 07日 | fish on ! | 釣果情報と、言うより料理情報ですね はコメントを受け付けていません
出刃は大きめの8寸です、一番上が使い始めて2年くらいで、もう15ミリくらい短くなりました。
かなり荒っぽい仕事もします。
その下の三丁も元は先代からの8寸の出刃でしたが研ぎ減りで小さくなりました。
小魚をさばくには使い勝手が良く、特に塩焼きや煮付けの小鯛やマナジ、メバルのエラ抜きなどは
先端の鋭さと、もともとの厚い刃が使いやすく、4寸や5寸の新品の小出刃よりずっときれいに捌けます。
ここまでチビてもまだハガネは程よい辛さを保って残っています。
正夫は短めが使いやすく、下の2丁が9寸です。
下から二番目はまだ使い始めて半年です、今は研ぎで苦労していますが、切れます。
盛夏の鱸を引けば薄紫の輝きが他の包丁と違うのがはっきりわかります。
もう少し使い込めば手放せない一丁になるでしょう。
一番下が良く使う正夫で2年、ほぼ毎日研いで3センチ近く短くなり、サワラのような身の柔らかい魚でも、ゴワゴワ系のアイナメやマゴチ、ふぐ引きにも迷いなく使っています。
下から3番目と4番目は補欠(笑)研いだ直後は気持ちいいくらい切れますが焼き入れが甘いのか
刃持ちが悪い。
2010年 10月 06日 | Gallery & photo and Others | 南風の裏方たち はコメントを受け付けていません
あちこちに墨跡べったりです。
こんなに汚さなくてもと思うくらいついています。
荒れていても東や南の風なら南堤防が、北西の風ならホットロードまわりが波もなく追い風になります。
今年は数が多そうなのでぜひ楽しみ下さい。
サイズは缶コーヒー〜缶ビールサイズです。
一匹引っ掛けて食べました。
春の大アオリのような濃いぃ味はなくとも、柔らかくておいしかったです。
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2010年 10月 04日 | fish on ! | アオリが釣れています in 篠島 はコメントを受け付けていません
初めてお泊りになったお客さまに「南風は民宿ですか?旅館ですか?」と、よくたずねられます。
半世紀前の創業時は民宿南風でのスタートでした。
実は自分の感覚ではどちらもしっくりこないのです。
「どちらかはっきりしろ」と言われれば法的な営業許可や消防法のセーフティーマーク取得設備は旅館業で、ネットのお宿紹介サイトには創業時の民宿で登録しています、また地元の区分では民宿組合に入っています。
篠島で最初に民宿の看板あげたのが民宿南風でした。今でこそ民宿と言えばある程度のイメージは出来ていますが、当時は初めて聞く言葉でした。
創業時の先代の心意気を大切にし、時の移り変わりとともにかたちを変えるお客さまのニーズ・・・篠島への旅で何を求めているのかという自問のなかで未だに整理出来ないのが宿の区分けです。自分では「宿」の一文字が一番しっくり来るのです。
現状は「どちらでも」というのが正直なところで、民宿でも旅館でも、お越しいただけたお客さまの判断におまかせしたいと思っています。
親父が旅立って40日あまりがたちました。6月に癌告知を受けてから懸命の治療と看護も空しく8月6日未明に永久の別れとなりました。
闘病中に「このまま死んでも何も思い残す事は無い、幸せな一生だった」と言っていたのは残る者たちへの親父の最後の思いやりであったと思います。
思い残す事が無いわけがない。五人の孫もまっとうに自立し、二人が結婚し「こいつが南風の4代目だ」と親父が節くれ立った手で生後間もない曾孫を幸せそうに抱くのを見て必死に涙をこらえました。お客さまに喜んでもらえるのがうれしくて、美味しいと言ってもらえるのがうれしくて、働いて働いて働き通した一生でした。多くのお客さまに贔屓にしていただき、小さいながらも宿はずっと順調で、「家族が皆元気で働けて、ウチほど幸せな家族はないぞ」が口癖でした。その幸せの中、たった一度の入院生活のまま、ついに愛した南風に帰ることなく旅立って行きました。
悔しかったです。無念でした。「ダメかもしれない」と覚悟した最後の夜は、意識が無くなった親父を抱きしめ「もう我慢しなくてもいいぞ」「辛い抗ガン剤ももうやらない」と何度も何度も言いきかせながら泣きじゃくりました。友人や釣り仲間にも恵まれ「じいじ」「南風丸」と可愛がられ、余生は大好きな釣りを楽しんだり、曾孫の守りですごしてほしいと思っていたのに、あわただしすぎる旅立ちでした。
家族が現実を受け入れられない状態でも通夜や葬儀は進んでいきました。ただ予想をはるかに越えた多くの人の涙や弔問をいただき、にぎやかな雰囲気が好きであった親父もきっとうれしかったと思います。親父を見送っていただいた皆様には心から感謝しています。
火葬場で煙突からあがる煙が消え「ああ、もう俺には二度と親父の声は聞こえない」と思った時に、初めて蝉の鳴き声が耳に入ってきました。夏に入ってからずっと鳴いていたはずなのに、まったく聞こえませんでした。それほど我を忘れていた夏でした。「お客さまに悲しいそぶりは見せてはいけない」と、家族が耐えた夏でした。それでも一度だけ、お客さまに「こんな愛想が悪い宿は初めてです」と言われた時は本当に辛かったです。分かっていてもいくら涙をかくしていてもお客さまには宿の心は伝わるものだと改めて思い知りました。今は、ただただお詫びするしかありません。
先日、看護で長く釣りに出る事なく繋ぎっぱなしだった南風丸を上架し船底掃除や遺品を整理しました。よく二人で釣りにでました。大物とのやりとり、潮待ち時間の釣り仲間との馬鹿話など。本当に楽しそうな顔の親父が思い出されます。親父の仕掛け、親父の大きめのコーヒーカップ、親父の合羽、操舵室助手席の親父のクッション、親父の老眼鏡、最新のGPSを使うのが苦手で釣りポイントの山立てを小さな文字でびっしり書き込んだ親父の手帳、すべてがもう二度と使われる事はありません。楽しかった思い出は時に残酷なものです。また涙でひとつひとつの品を「楽しかったなあ」と親父に話しかけながら、すべて船からおろしました。
家族で育てて来た南風が民宿か旅館か、親父と話すことはありませんでした。
でも義南碩風居士と名をかえた親父はきっと言うでしょう。
「お客さまに喜んでもらえればどちらでもいい」と。
2010年 9月 18日 | People | 無題 はコメントを受け付けていません